ギャラリー備忘録

愛おしき絶滅危惧種との共生

アンビルコンサルティングのホームページ

ブラウザのアドレス窓に”anvil.co.jp”と打ち込むとこのページが現れます。

アンビルコンサルティングは 2021年 8月をもち、CADツールに関わる一切の業務を不可逆的に終了しており、現在 Altium Designer は取り扱っておりません。
当サイトはこの状況に合わせて用意したものです。

音響機器への強い興味から楽器開発の世界に入り、その後に転身したCAD 業界からの引退を機にビジネスの世界でのキャリアを終了しました。
そしてキャリアを終えた今、過去を振り返って、忘れ去るには惜しい記憶や、捨て去るにはしのびない地域文化などをここに拾い集めてみる事にしました。

なお法人としてのアンビルコンサルティング株式会社は今も継続しており、引き続き地域貢献を軸に積極的に活動中です。

関連サイト

蘇れ、幻の観音寺城
雪野山♡しもはねだ里山天国
ひらた♡デジタルライブラリー
A.V.Legacy Project

アンビルリレーションズ

アンビルコンサルティングでは、地域の文化活動への参加と支援を行っています。

アンビルコンサルティング株式会社
城野幸男(じょうの ゆきお)

絶滅の瀬戸際から生還したアナログシンセサイザー

謎のアナログシンセ PS-1000の正体が露わに!

いまアナログシンセサイザーがブームになっています。半世紀もも前の製品の復刻版も現れ、全盛期を彷彿せる盛況ぶりです。その一方で、当時製造された古い個体はメンテナンスが困難なため、実用可能なものは非常に少なくなってきています。
そんな中、PS-1000という名のシンセサイザーの内部構造とメンテナンスについて詳細に解説された記事を発見しました。さらに、その記事を通じて、愛好家によって精緻なサービスドキュメントが作成された事を知りました。これは高度な技術スキルを備えたエンジニアが、膨大な時間を費やして作成したものです。
半世紀前に製造された非常にニッチな製品に対して、これほどまでの取り組みが行われていることは、私にとって衝撃的な出来事でした。なぜならこのシンセサイザーは、50年以上も前に、私 yukio@jono.jp が開発を担当した製品だからです。

ESTECHON のホームぺージより

  • PS-1000サービスドキュメントのダウンロード
    http://estecho.com/wp-content/uploads/2018/10/PS-1000_Haller_RevC.zip
    (暗号化されていないので警告が出ます)
  • PS-1000のデモ動画

PS-1000の生産台数は500台以下だったと記憶しています。国内販売だけでなく輸出も行われましたが、半世紀を経た今、まともに動作する個体は殆どど残っていないはずです。このような状況下での ESTECHO  と Richard’s very 両氏による多大なご努力に心から敬意を表します。

この製品は販売不振のため数カ月で製造中止になりました。その後50年も経った今、幸運にも PS-1000の図回路図を見付ける事ができたのでここに公開します。すでに Richard’s very 氏による完璧なリバースエンジニアリングが完成していますが、この回路図も何かに役に立つかもしれません。

PS-1000の回路図

試作倒れの ACETONE SY-100シンセサイザー

偶然 Baby Audio のサイトで SY-100という名のシンセサイザーが照会されているのを発見しました。これには驚きました。こんなものがよく残っていたものです。これはエース電子工業株式会社が PS-1000の前に商品化されようとしていたアナログシンセの試作品です。

Baby Audio のホームページより

当時、海外の代理店を通じて試作機を出展した事を記憶しています。おそらくこれはその時のものでしょう。このモデルの開発は2人で担当し、私は補佐役でした。
この SY-100 の内部は ARP Odyssey のクローンです。Odyssey を分解して回路を拾い上げる事から始めました。回路は部品の定数を含めて Odyssey そのままなので、Odyssey との音の差は大きくないはずです。この試作品は2-3台しか作らなかったと記憶しています。
 このSY-100 では ARP Odyssey を忠実に再現する事を目指しており、後の PS-1000よりも上位に位置付けられる機能を備えていました。しかしその後、ハモンド・シンセサイザー 102200 の国産化のため、このSY-100 の製品化は棚上げされてしまいました。

SY-100から PS-1000へ

ハモンドシンセサイザーの国産化設計が一段落した後、エーストーン アナログシンセの開発が再開しました。すでに試作を終えた SY-100を製品化するという選択肢もありましたが、その道を選ばず、 仕様の異なる新モデルを開発することになりました。そして PS-1000と命名されたこの新モデルでは、低予算層をターゲットにして、仕様・外観・価格の最適化を行いました。

PS-1000 の内部

エーストーンシンセとしては二作目となる  PS-1000の内部は、 Odyssey クローンの SY-100 とは大きく異なります。基本仕様の変更は 2 vcoのOdysseyを 1 vco に減らしたくらいですが、回路は全く異なります。特にオーディオ信号が通過する VCO → VCF → VCA には Odysseyの回路を一切使っていません。
VCOを1つに減らしたのは2つの VCOの特性を揃える事が難しかったというのがが主な理由です。信号系の回路を置き換えたのはコストの削減と、他社製品の真似はできるだけ避けたいという考えからです。Odysseyの VCOのアンチログ回路には高価なDual トランジスタが使われており、ボルツマン係数(+330ppm)を補正するための感温抵抗と共にモールドされていました。またVCFとVCA には比較的高価な CA3080トランスコンダクランス OPアンプ(OTA)が幾つもつも使われていました。しかしこれらはローエンドのアナログシンセには高価すぎました。
そこでこれらの部品をすべてディスクリート回路に置き換えました。VCO は CMOS ゲート IC の端子処理の違いによつて生じる、しきい値(Threshold)の変化を利用して発信させるというユニークな設計です。S/HとADAR はほぼ Odyssey からの転用だったと記憶しています。他のソースからも回路を引用しましたが、全体的には独自性の高い設計になっていると思います。ちなみにこの頃、国内の楽器メーカーの殆どが Minimoogを手本にしており、トランジスタラダー型 VCF に対する特許侵害の指摘を受ける危険性がありました。事実、後に公開された Minimoog とR社 SH-3 のVCF回路で は、定数を含めて差異が見当たりませんでした。一方、独自設計の PS-1000ではこのような心配は無用でした。

ディスクリート部品で電圧制御回路を組む場合には差動回路を多用します。この差動回路には 特性が等しく、密に熱結合されたディュアルトランジスタが求められます。CANパッケージに収められたモノリシック型が最適なのですが、価格を抑える為 2つの独立したチップが1つにモールドされた、安価なディュアルトランジスタで代用しました。これが PS-1000の熱的安定性を損ねている最大の要因です。

SY-100とPS-1000は、ローランド技術者の置き土産ではありません!

ローランド社は 1972年に設立され、1973年に SH-1000、1974年に SH-3を発売しました。一方、エース電子工業では 1974年 SY-100の試作品を出展、1975年(又は1976年)にPS-1000を発売しました。
この 2社の製品の開発時期が近いため、「エーストーンのシンセサイザーはローランドに転職したエンジニアが、それまで在籍していたエース電子工業で開発したもの」であるかかのような書き込みが散見されます。なかには梯氏が開発したものであるかのような書き込みも見られます。
しかしそのような事実は一切ありません。ローランド社が設立された 1972年頃に大量の人的移動があり、この事で情報が途切れてしまっていますが、1974年の初頭に技術資料を確認した限りでは、社内にシンセサイザーに関するものは存在しませんでした。
ACETONE SY-100は Arp Odyssey のクローンであり PS-1000は独自設計、その頃ローランド社では Minimoog を手本にしていたようなので、技術的には全くの別物です。

模倣は悪か?

PS-1000 を新規に開発するのではなく、試作を終えた SY-100を量産化するという選択肢もありました。しかし、クローン製品を作ることに対する後ろめたさや法的な問題に対する懸念がありました。また、後発ですので、先発他社より魅力的な製品をより安く販売する必要がありました。
そこで再設計に踏み切ったわけですが、もし 模倣品 SY-100をそのまま量産化していたらどうなっていただろうか?という想いが脳裏をよぎります。
SY-100をそのまま量産化していれば他社より優れた製品を同じような時期に発売でき、高い評価が得られたかもしれません。逆に法的な訴追を受けて損害を被っていたかもしれません。

現在、模倣はリバースエンジニアリングと名を変え、正当化されてきています。しかし法的に許されたとしても、他者の労力をかすめ取るような行為に後ろめたさを感じてしまいます。リバースエンジニアリングは生産性を向上させ技術の進化を加速する事は事実ですが・・・
リバースエンジニアリングと先達へのリスペクト。この2つの両立は、永遠のテーマなのかもしれません。

フィルムカメラをデジタル化

今やカメラはデシタル化されて久しく、フィルムの入手し難くなってきています。

そこで、デジカメをフィルムの代わりに使えないものか?と考えました。そして実際に試してみたところ、予想以上にうまくいったので、その結果を記事にまとめました。

Mamiya Flex C2 Digital HybridMamiya Press Digital Hybrid をご覧ください。

業務用として販売されていた中判カメラの多くは、フィルムバックをデジタルバックに置き換えるる事によってデジタル化できます。サードパーティからも デジタルバックを装着するためのアダプタ が提供されており、今回試したマミヤプレス用のアダプタも手に入るようです。

一方、マミヤC二眼レフ用のアダプタは市販されていないようです。しかしC220以外は裏蓋が脱着式になっているので、アダプタさえ用意すれば、デジタルバックを付けられそうです。
また C330用として一枚撮り用の裏蓋が用意されていたようなので、これが入手できればアダプタの自作に役立つかもしれません。マミヤに限らず、裏蓋交換で機能の追加や変更ができるカメラは、裏蓋がデジタル化への橋渡しをしてくれるかもしれません。

とみなが屋 さんによるマミヤプレスのデジタル化
記事動画 をご覧ください。

しかし、デジタルバックはたいへん高価です。中古市場では古いモデルが定価の1割程度の価格で販売されているようです。それでも中古マミヤプレスの10倍はしますのでなかなか手がだせません。すでにデジタルバックを保有しているのなら話は別ですが。

また、デジタルバックを使ったとしても撮像サイズは中判フィルムよりも小さくなる場合がほとんどです。極めて高価な 645 フルサイズのセンサーでさえ 6×9 サイズの半分の面積しかありません。この事はレンズの画角が狭まる(望遠側にシフト)事を意味します。ちなちなみに35mmフルサイズのセンサーではさらにその半分弱の面積しかありません。
多くの場合、大型センサーを持つデジタルパックでも、完全には中判フィルムを置き換える事はできず、費用対効果を考えると、デジカメによる代用も選択肢の一つなのではないでしょうか。

そして二眼好きの私的には、マミヤ以外でも試してみたくなります。しかし他の二眼レフはどれを見ても改造が必要なうえ、見た目も怪奇なものに激変しそうなので諦めました。

いくつかの課題を残すものの、デジカメの力を借りて蘇った、この2台のカメラの描写力はタダものではありません。今後は常用カメラとして活躍してくれることでしょう。

フィルムカメラ万歳!

Mamiya Press Digital Hybrid

フイルムカメラのデジタル化プロジェクトの第2段です。

今回は、マミヤプレスとソニーα7Ⅱを合体させてみました。

マミヤプレスは1970年から30年近く販売された 6X9 サイズの中判カメラです。
マミヤプレスには前期型と後期型があり、外観が大きく異なります。写真左は前期型最終モデルの Mamiya press Standard 、右は後期型最終モデルの Mamiya UniversalPress です。 マミヤ二眼レフのデジタル化がうまくいったので、このカメラもデジタル化してみました。

どのモデルも使えるレンズに違いはありませんが、今回は最後期型の UniversalPress で試す事にました。

フランジバックを合わせる

Mamiya Flex C2(二眼レフ)では本体を改造しなくても 105ミリと135ミリで無限遠のピントが得られました。しかしこのマミヤプレスではデジカメをマミヤ本体内にを押し込んで、本来のフィルム位置までセンサーを持って行かないと、どのレンズも無限遠のピントが得られません。

幸いなことに、デジカメのグリップがマミヤ本体にぶつかる箇所だけを削り取る事で、デジカメが中にスッポリ収まり、センサーをフィルム位置に合わせる事ができました。そのあと遮光とブラケットによる連結を行なって改造は完了。
また、マミヤプレスのファインダーは取り外してあります。ファインダーは必要に応じて元に戻せますが、その必要は無さそうです。デジカメのファインダーを使うと、より正確なフレーミングとピント合わせができます。マミヤプレスのボディからファインダーが無くなり、ただの箱になってしまいましたが、合焦精度の向上と軽量化により、実用性は高まります。

でき上がった Mamiya Pres Digital Hybrid の姿

今後の撮影に役立ちそうな、50mm、65mm、250mmを装着してみました。ファインダーは外してありますが、必要に応じて元に戻せます。

使用できるレンズ

フランジバックが一致しているので、フィルムでの撮影時と同じ範囲にピントを合わせる事ができます。

マミヤプレス用レンズ群。他にも 90mm F3.5がああり、これらの全てのレンズで利用できる。

マミヤプレスの50mm広角レンズ(35ミリ換算で21 ㎜)は、 35ミリフルサイズのセンサーで撮ると、そのまま50ミリ標準レンズの画角になります。そうなるともう少し短い焦点距離のレンズが欲しくなります。ワイドコンバータ付けると35mm相当くらいにはなります。しかし画質が低下しますので、広角側はマミヤにこだわらずα7Ⅱ用の市販レンズに任せた方が良さそうです。

各レンズの画角とピントを確認
保有している10種のレンズで実写してみました。全レンズを順に装着し、ピントリングを遠景側(∞)に回し切った状態で撮影しました。どのレンズも1km 以上離れた民家や鉄塔に合焦しており、最適な位置にデジカメのセンサーが置かれている事がわかります。

実写結果:写真左上から、50mm F6.3、65mm F6.3、75mm F5.6、90mm F3.5、100mm F3.5、100mm F3.5 沈胴、100mm F2.8、127mm F4.7、150mm F5.6、250mm F5。

75mm F5.6以外は絞り値を F8に設定。75mm F5.6は故障(シャッター羽根が半開き)のため絞り値は不明。ソニーα7Ⅱのクリエィティブモードは STANDARD、ホワイトバランスは AUTO 、ISO 400で撮影。Photoshop で自動レベル調整。

50mm F6.3で試し撮り
3枚目の写真はワイドコンバータを装着し、35mm くらいの焦点距離になっています。

250mm F5で試し撮り

市販のデジタルバックを使うという選択肢

市販のデジタルバックを使うという方法もあります。むしろこれが王道であるといえます。ただ単にフイルバックをデジタルバックに置き換えるるだけなのでマミヤ本体を改造する必要はありません。これは中判のプロ機ではあたり前の方法ですが、これにはデジタルバックを取り付けるためのアダプタが必要に なります。
幸いな事にマミヤプレス用のアダプタはLenseMod 社から入手できるるようです。こちらの記事動画 で紹介されていますのでご覧ください。
中判デジタルバックは極めて高価ですが、中古市場では随分安く手に入るようです。今後さらに値下りし、入手しやすくなることを期待しているところです。

まとめ:改造と実写を終えて

改造は思いのほか簡単でした。デジカメのグリップがぶつかる、マミヤプレスの後部1か所だけをヤスリで削るだけで、デジカメをマミヤプレスのボディ内に押し込む事ができました。
フランジバックは、デジカメを仮止めした状態で実写して割り出しました。そしてカメラ間の間隔をノギスで測って、ブラケットの図面を作成し、業者さんに発注しました。
カメラ本体の改造を避けるため2台のカメラの固定は、三脚穴で行いました。遮光はウレタンと黒い布製の電工テープを使って行いました。
それなりに時間はかかりましたが、試行錯誤を繰り返すことなく、スムーズに作業を終える事ができました。

試し撮りは、デジカメのファインダーとシャッターを使つて行いました。ラインナップされている全てのレンズで実写したところ、全てで無限遠が得られ、どれも驚くほど良く写りました。これは特筆すべき成果でした。
当初はレトロ感を楽しむ事を意図していましたが、このれらのレンズの高い描写力を生かすべく、常用カメラとして利用する事にしました。そこで、より利便性を高めるため、マミヤのファインダーを取り外し、フレーミングとピント確認をデジカメ側で行う事にしました。

レンズの画角は、35ミリセンサーによってクロップされる事によって望遠側にシフトします。ワイドコンバータも試しましたが、画質が低下するため、短焦点での撮影には素直にソニー Eマウントのレンズを使う事にしました。

このカメラをデジカメ側から見ると、マミヤ本体の役目は単なるマウントアダプタのようにも思えます。しかしそのフォルムはレトロ感を留めており、左手でグリップを握りしめてカメラを構えると、あたかも往年のフィルムカメラで撮っているかのような、撮影感を体感する事ができます。

社外品のアダプタを入手する事により、市販のデジタルバックも利用できそうですす。しかし今回の成果を受け、このれが「安上がりにデジタル化するための最良の選択肢」であることを確信するに至りました。

マミヤ二眼レフのデジタル化はこちら

Mamiya Flex C2 Digital Hybrid

 

絶滅寸前のフィルムカメラを、デジタル化で救出!

我が家に眠る大量のフィルムカメラ。久々に使ってみよう!と思いついて棚から取り出してはみたものの、フィルムが高くて手が出せません。
そうです! 時代はデジタル。どうやらフルムは絶滅の危機に晒されているようです。しばらくすると我が家のカメラも粗大ゴミになってしまいそうです。

デジタル技術で蘇る MamiyaFlex C2 Professional

そこでフト思い付いたのが、デジカメをフィルムの代わりに使えないものか?という極めて安直な考えです。そして手持ちのカメラの中から、マミヤの二眼レフ(中判フィルム)とソニーのα7Ⅱ(フルサイズデジタル)を使ってこれを試してみる事にしました。

さしあたり、裏蓋を外したマミヤの二眼を左手に持ち、右手に持ったデジカメのフランジを二眼レフ背面の感光窓に押し当ててシャッターを切ってみました。するとどうでしょう、バッチリ写るではないですか!。そしてその描写はオールドレンズ特有の柔らさと現在のレンズ並の解像度を兼ね備えた素晴らしいものでした。

左手に二眼レフ、右手にデジカメを持って試し撮り
セコール10.5cm F3.5。カメラどうしが固定されていないため、方ボケが生じている。

これで二眼レフとデジカメのいずれにも全く手を加えなくても写せる事がわかりました。そして次に、金具を使って2台のカメラをを固定しました。裏蓋には光を通すための穴を明けてあります。こうして謎の二眼レフ Mamiya Flex C2 Digital Hybrid(仮称)が誕生しました。

完成した Mamiya Flex C2 Digital Hybrid の勇姿

Mamiya Flex C2 Digital Hybrid による試写

自宅近くの劔神社。レンズ:セコール10.5cm F3.5 + ワイドコンバータ

このカメラでは、6×6サイズの画像が35ミリサイズに切り取られて、標準レンズが中望遠レンズにシフトします。これを元の画角に近付けるため、ワイドコンバータ 0.5x HD-5050PRO を着けて撮影しました。これでほぼ標準域(35mミリ換算で60ミリ相当)の画角を取り戻す事ができました。描写にはフレアが見られ、オールドレンズらしいソフトな描写になっています。

自宅近くから観音寺山を望む レンズ:セコール10.5cm F3.5
全景(1枚目)と拡大 5x(2枚目)及び拡大 10x(3枚目)

6x6の標準レンズとして用意された 105mm(10.5cm)の焦点距離は 35mmフルサイズでは中望遠に相当します。このレンズで6㎞先の観音寺山を撮影しました。そして解像度を確認するために5倍と10倍に拡大てみました。山中の石垣や建物がしっかり写っているのには驚かされます。

Mamiya Flex C2 Digital Hybrid で利用できるレンズ

脱着可能な裏蓋に穴をあけたが本体には加工を加えておらず、レンズや他のアクセサリの装着に制限はありません。ただしデジカメのセンサーが、本来のフィルム位置より後方に移動してしまっているので、無限遠が得られるレンズは10.5cm F3.5 、105mm F3.5 DS、 135mm F4.5 に限られます。他のレンズは無限遠が出ませんので、マクロ撮影などの用途に限定されます。
また、これらの交換レンズの中で 10.5cm F3.5 は、70年近くも前(1957年/昭和32年)に発売されたものとは思えないほど良く写ります。

C220 Professional の撮影距離表示板

この105mmと135mmのレンズはフランジバックが極めて長く、蛇腹を半分近く開いてレンズを前に繰り出した状態で、無限遠にピントが合うように設計されています。このためデジカメのセンサーが本来のフィルム位置より手前(撮影者側)に置かれていても、蛇腹をたたむ事でピントを合わせる事ができます。今回の合体カメラでは、105mmで9mm、135mmで6mm、103mm DSで3mm程度蛇腹を繰り出したところで無眼遠にピントが合います。一方 180mmでは 8メートル、250mmでは 6メートル以上離れたところにピントを合わせる事ができません。

55mm F4.5、65mm F3.5、80mm F2.8ではマクロ域でしか使用できない。この3本の最小倍率と最大倍率を実写で確認した結果、最大0.8~1.2倍程度のマクロ倍率が得られる事が分かった。以下の画像は 36mm x 24mmノートリミング。

55mm F4.5 最小倍率
55mm F4.5 最大倍率

65mm F3.5 最小倍率 65mm F3.5 最大倍率

80mm F2.8最小倍率80mm F2.8 最大倍率

この構造ではどうしてもフランジバックが長くなってしまうので、使用できるレンズに制限が生じます。この問題を回避できるアプローチとして、が本体を改造して 48x36mm センサーのリーフ製バックを取り付けた例も紹介されています。まさにこれが理想ですが、素人にはかなりの大仕事です。

Mamiya Flex C2 ProfessionalとMamiya  Cシリーズ

レンズ交換が可能な二眼レフ、マミヤフレックス Cシリーズは1957年1月に発売されました。その翌年の昭和33年6月(1958年)には改良版である Mamiyaflex C2 Professionalが発売されました。その後も改良が続けられ、1994年(平成6年)まで37年にわたり生産が続けられました。交換レンズは 55mm F4.5、65mm F3.5、80mm F2.8、80mm F3.7、105mm F3.5、DS 105mm F3.5、135mm F4.5、180mm F4.5、250mm F6.3が用意されていました。

そして今回は、昭和33年6月(1958年)に2代目モデルとして発売された Mamiya Flex C2 Professionalを取り上げてデジタル化を試み、105mm F3.5を装着して試写を行いました。

ダイアン・アーバスが愛用した Mamiya  C33

このマミヤC 二眼レフは、ダイアン・アーバスが愛用した事でも知られています。写真の中の彼女が手にしたカメラはどれもマミヤC二眼レフ。カメラ本体は C33 Professional 、レンズは 65mm F:4.5 と105mm F:2.8/80mm F:3.5 あたりでしょうか。

そして、今回の試みを通じて、このカメラを愛用したダイアン・アーバスの写真やその来歴に触れる機会を得ました。ダイアン・アーバスはマイノリティとされる人々の姿を映像化した写真家として知られています。しかしそれだけではなく、自分は普通だと信じ込んでいる人たちに対して「普通の人など世界中のどこにもいない」という事を伝えようとしていたようにも思えます。

ダイアン・アーバスの銅像

ニューヨークのセントラルパークの入り口に 2022年から翌年の夏までダイアン・アーバスの銅像が設置されていたそうです。
写真に残る彼女の姿が忠実に再現されています。こんな仰々しいカメラを向けられたら、撮られるる側は自然体ではいられません。彼女はこの挑発的なスタイルで挑む事により、被写体からアイデンティティを引き出そうとしていたのかもしれません。

銅像の写真は こちらこちら から引用させていただだきました。

できれば中判センサーで撮りたいところだが、お値段がちょっと ・・・

より大型の中判センサーを使って、本来の画角に近づけたいとは思うのですが、容易ではありません。
市販されているデジタルバックはどれも驚くほど高価です。しかもマウントアダプタが市販されていないので 3Dプリンタ等を使って自作しなくてはなりません。
もう一つは、中判ミラーレスカメラ GFX50S II を使うという方法です。これなら今回と似たような方法でできそうですが、やはりこれも道楽には高すぎます。という事で、マミヤ二眼のデジタル化についてはここで一区切りつける事にしました。
そして次のプロジェクトとして、マミヤプレス(Mamiya Universal Pres)のデジタル化を行い  Mamiya Pres Digital Hybrid の名で公開を予定しています。

古いカメラほど良く写る? 幕末のレンズの写りにビックリ

今回の試みで、古いフィルムカメラをほぼ無改造でデジタル化する事ができました。そしてその結果、70年近く前のレンズが今どきのレンズに勝るとも劣らないほど良く写るとに気付きました。おそらく業務用のレンズの解像度は、早い段階で十分に進化していたのでしょう。だとすると、それは100年前の事でしょうか?それとももっと昔の事でしょうっか?
そこで、次の2枚の写真をご覧ください。70年前のマミヤのレンズで撮った写真よりも鮮明に見えます。撮影時期は幕末/明治維新の頃と付記されていますので、少なくとも 150年は前の写真です。この頃のレンズの性能が、これほどまでの水準に達していた事には驚かされます。

古いレンズほど良く写るの?という疑問がわいてきます。そして幕末のカメラをデジタル化してみたいと思ったりもしたがが、さしあたり次は、マミヤプレスをターゲットにする事にしました。続編 Mamiya Press Digital Hybrid をご覧ください。

盆の木

水無月の輪

勧請縄